2012年、この世の終わりと言われた年に、数秘の世界から隠退したのは単なる偶然ではない。
2012=宇宙周期5の年は、人間の意識に変容がもたらされるべき年だ。ところが5のエネルギーはよほど目覚めていないと単に目まぐるしさとしてしか受けとられない。
意識的な人は、宇宙レベルでの意識変換(つまり古いものが終わり、新しさが生まれること)こそが2012年に起こるべきことだったという事実に気づいているが、無意識な人たちは日常のゴタゴタで忙しく、気がついたら1年が終わっていたと感じているはずだ。
数は真実を伝えている。
私たちがそれを受け取ることができないのは、ひと言で言ってしまえば無意識だからだが、同時にあらゆる”数”を牛耳っている一部の人間に操られているからだとも言えるのではないだろうか?
彼らは、数が印刷された紙幣と呼ぶものをたくさん集めるとパワーを得られるという幻想を与える。
彼らは、一秒ごとにカチ、コチ、カチ、コチ、と音を立てる時計の秒針、あるいは授業が始まるチャイムの音、駅のプラットフォームの大げさな呼び鈴などで私たちをせき立てる。
そして、7歳から20歳前後までの学校教育を通して、個性を殺して社会にしたがい、成績という数、年齢という数、ノルマという数などを意味付けすることで、限りないプレッシャーを与える。
私たちは感性を育てるよりも、感情やマインドをコントロールして、数を追っかけているかのようだ。
数の純粋なエネルギーを感じ取り、それをうまく使う数秘を教えてきたつもりだったが、受け取る側の感性が追いつかないというよりも、社会的な支配力に人びとがあまりに毒されているという事実が私を数秘の世界から立ち退かせた。
ひと言で言うなら、瞑想して自分を見つめることをしない限り、数の神秘を探ってもあなたはどこにも到達しないだろう。
それに対して、エニアグラムはあなた自身が真摯に自分を観察しない限り答えが得られない。
確かに、自分の人格がどんなふうに自分自身の人生に影響を与えてきたかを見守っていく作業は容易ではない。そこには傷があり、痛みや羞恥心が隠されいるからだ。だが、その傷を見守り、受け入れたときに起こる解放は、あなたに大いなるくつろぎをもたらす。
そしたら、あなたはもはや「私はだれなのか?」と人に尋ねなくてもよくなる。自分を知ることの方に向かっていけるのだ。
私は特にこの8年間、意識的に数のエネルギーを使ってきた。1の年にピュタゴラス数秘アカデミージャパンを設立し、9の完成に向かう直前に数秘を教えることを辞め、この1年で完結に向かう。
これまでの数の研究と実験の結果から、私に言えることは、現代数秘で使っている数の本質を示すキーワードは、エニアグラムから来ていること。9つの数ははっきりと符合している。
数秘は、その人の生年月日と名前というもっともアイデンティティーを持つものから割り出す数を読み解くという、まさにあたらなアンデンティティーを持たせる手法を発展させていく過程で、世の中のシステムに合わせるために調整された部分があるのではないかと推測する。
たとえば、エニアグラムの3は行動する人と言われるが、数秘のキーワードは創造性、楽しむこと、表現することだ。1の改革する人に対して数秘のキーワードは革新的、始める。2の助ける人に対して調和。9の平和をもたらす人に対して慈悲。6の忠実な人に対して責任。8の挑戦する人に対して力。
4の個性的な人に対して、安定、保証が数秘4のキーワードになったのは、5の変化の一つ前の数だからだと思うが、数秘4にはオリジナリティーという意味もあるからやはりここでも符合する。
さて、5と7だけがまるで正反対のように見えるのだがーー。
7の熱中する人に対して、数秘7は内観する、独り在るだ。
5の調べる人の質こそが、数秘7の質ではないか? またエネルギーを集中させる数秘5こそ熱中という言葉がピッタリだ。
私の考察では、現代社会の数の仕組みが10進法であるゆえ5は真ん中に来る。ここでエネルギーが変化するという方がフィットする。現代数秘で「変化」「自在性」のキーワードが与えられたのはそれゆえだと思う。エニアでは7の目指すところに5があるのだが、ここがひっくり返ることで、例のエニアグラムの図はその形を崩し、1から9の輪廻の輪ができるというわけだ。
そして、それが事実であるかどうかはあまり重要ではない。
問題は、数秘であれ、エニアグラムであれ、それに使われるのではなく、使うことができるかどうかなのだから。
クリーンランゲージを使って、その人の人格を見いだしていくようなワークショップができたら良いな、と、遠くに連なる山を眺めながら、思いを馳せている。